ミュージカルについて(フィアルサロンでのレッスンに向けて)
 ミュージカル、ご存じでない方はもういらっしゃらないほど日本でもここ十数年で一般的になりました。これまで1度ぐらいは劇場に行かれた方もいらっしゃれば、年に何回も劇場に足を運ばれる方もいらっしゃいます。
特にロングランのミュージカルは、メインキャストが日々変わる作品も多いため、好きな作品は何十回も観劇し、楽しまれる方もいらっしゃいます。
まるで、ヨーロッパでオペラを楽しむように、日本でも親しまれるようになりました。
さて、ミュージカルは英語で書くと「Musical」です。 このミュージカルとは、音楽・歌・ダンス・台詞が結合された演劇です。 それぞれが独立しておらず、一体になっているものがミュージカルです。 言葉と音楽と動きで作られた、エンターテイメントがある演劇と言えるでしょう。
 ミュージカルの語源は「ミュージカル・シアター」が略されて「ミュージカル」と呼ばれるようになりました。「ミュージカル」というのは別の意味もありますが、「ミュージカル・レビュー」、「ミュージカル・プレイ」や、「ミュージカル・コメディ」などをまとめて、総称で「ミュージカル」と言います。俗にいうミュージカルとは、演劇の中に、一部、演出として「劇中歌」が挿入されているものではなく、ベルリンで盛んなオペレッタ、ロンバーグなどと言ったミュージカルは、ウィンナ・ミュージカルとも呼ばれ、近代にはオペレッタとしては確立しています。
レナード・バーンスタインはオペラもミュージカルも書いている有名な作曲家ですが 彼の定義では、『歌によって、ストーリーが進むものをオペラとし、ドラマの結果、感情を歌にたくすものがミュージカル』と言っているようです。
曲を聞けば、オペラ、オペレッタ、ミュージカルのいずれのジャンルなのか、すぐにわかるかと思いますが、ではこれらの違いを歴史的背景、ルーツなどから探ってみたいと思います。
 もともと、『ミュージカル』はどこでいつごろ誕生したのでしょうか? それは、18世紀から19世紀のヨーロッパのオペラやバレエだと言えるでしょう。 お芝居しながら歌ったり、曲に合わせて踊ったりという現在のミュージカルの基本が、この時代にもうありました。
既にヨーロッパで盛んだったオペラ、ドイツを中心に発展した喜歌劇と呼ばれたオペレッタ。このオペレッタを当時は、移民による新しい国であったアメリカに持ち込まれ、アメリカ独自に発達したショーがミュージカルの最初だったと言われています。
 ミシシッピー川を行ったり来たりして、沿岸の町で公演を行ってながら行脚した、ショーボートが活躍した時代であり、これがアメリカのミュージカルの原点かもしれません。
当時はまだまだ高貴な芸術扱いで観客も少なく、庶民的ではありませんでした。 大規模なオペラ公演、バレエ公演を実施する人材や資金もなかったのでしょうか、そこで生まれたものが寸劇であり、歌であり、踊りや手品も入れたボードビル・ショーが発達しました。
 20世紀初めには、オーストリアのウィーンにハンガリー出身の作曲家が現れました。 フランツ・レハール氏と、エメリッヒ・カールマン氏、このふたりです。 彼らは喜歌劇(オペレッタ)の分野において、次々とヒットを出します。 明るく楽しい作品であり、ダンスがすばらしいと評判になりました。レハールの「メリー・ウイドー」などは、当時、普及し始めたラジオでオンエアされ、世界中に知れ渡ったのです。 こうしてミュージカルとしての形が可能で始めたのは、このウィーンが初めてだそうです。
 20世紀に入りますと、アメリカは先進工業国になり、第一大戦中の特需は、米国を好景気にしていました。 そんな時代にニューヨークでは、ガーシュイン兄弟が現れました。 ボードビル・ショーの歌曲を作り、シアター・ミュージカルも手がけ、彼らはアメリカミュージカルの父と言われています。 その後、コール・ポーターなどが参加、ナチスの台頭によって、後退し始めたウインナ・ミュージカル(オペレッタ)に替わって、ニューヨークのブロードウェイが、いよいよミュージカルのメイン舞台となったとなるのです。 こうして、ブロードウェイはミュージカルのメッカとして、世界中の人々に知られるようになりました。
 ミュージカルの代表作としては、『マイ・フェア・レディ』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『サウンド・オブ・ミュージック』などがあります。
 イギリスからはアンドリュー・ロイド・ウェバーが次々に作品を発表、『CATS』や『エビータ』『オペラ座の怪人』。『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、ポップオペラというジャンルと重なり、台詞も全て音楽に乗せて歌うオペラ形式のミュージカルです。
 フランスからはクロード・ミシェル・シェーンベルクが『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』と、近年は各国からも有名な作品を生み出されており、ミュージカルが世界中で親しまれています。
さて、ミュージカルは英語で書くと「Musical」です。 このミュージカルとは、音楽・歌・ダンス・台詞が結合された演劇です。 それぞれが独立しておらず、一体になっているものがミュージカルです。 言葉と音楽と動きで作られた、エンターテイメントがある演劇と言えるでしょう。
 ミュージカルの語源は「ミュージカル・シアター」が略されて「ミュージカル」と呼ばれるようになりました。「ミュージカル」というのは別の意味もありますが、「ミュージカル・レビュー」、「ミュージカル・プレイ」や、「ミュージカル・コメディ」などをまとめて、総称で「ミュージカル」と言います。俗にいうミュージカルとは、演劇の中に、一部、演出として「劇中歌」が挿入されているものではなく、ベルリンで盛んなオペレッタ、ロンバーグなどと言ったミュージカルは、ウィンナ・ミュージカルとも呼ばれ、近代にはオペレッタとしては確立しています。
レナード・バーンスタインはオペラもミュージカルも書いている有名な作曲家ですが 彼の定義では、『歌によって、ストーリーが進むものをオペラとし、ドラマの結果、感情を歌にたくすものがミュージカル』と言っているようです。
曲を聞けば、オペラ、オペレッタ、ミュージカルのいずれのジャンルなのか、すぐにわかるかと思いますが、ではこれらの違いを歴史的背景、ルーツなどから探ってみたいと思います。
 もともと、『ミュージカル』はどこでいつごろ誕生したのでしょうか? それは、18世紀から19世紀のヨーロッパのオペラやバレエだと言えるでしょう。 お芝居しながら歌ったり、曲に合わせて踊ったりという現在のミュージカルの基本が、この時代にもうありました。
既にヨーロッパで盛んだったオペラ、ドイツを中心に発展した喜歌劇と呼ばれたオペレッタ。このオペレッタを当時は、移民による新しい国であったアメリカに持ち込まれ、アメリカ独自に発達したショーがミュージカルの最初だったと言われています。
 ミシシッピー川を行ったり来たりして、沿岸の町で公演を行ってながら行脚した、ショーボートが活躍した時代であり、これがアメリカのミュージカルの原点かもしれません。
当時はまだまだ高貴な芸術扱いで観客も少なく、庶民的ではありませんでした。 大規模なオペラ公演、バレエ公演を実施する人材や資金もなかったのでしょうか、そこで生まれたものが寸劇であり、歌であり、踊りや手品も入れたボードビル・ショーが発達しました。
 20世紀初めには、オーストリアのウィーンにハンガリー出身の作曲家が現れました。 フランツ・レハール氏と、エメリッヒ・カールマン氏、このふたりです。 彼らは喜歌劇(オペレッタ)の分野において、次々とヒットを出します。 明るく楽しい作品であり、ダンスがすばらしいと評判になりました。レハールの「メリー・ウイドー」などは、当時、普及し始めたラジオでオンエアされ、世界中に知れ渡ったのです。 こうしてミュージカルとしての形が可能で始めたのは、このウィーンが初めてだそうです。
 20世紀に入りますと、アメリカは先進工業国になり、第一大戦中の特需は、米国を好景気にしていました。 そんな時代にニューヨークでは、ガーシュイン兄弟が現れました。 ボードビル・ショーの歌曲を作り、シアター・ミュージカルも手がけ、彼らはアメリカミュージカルの父と言われています。 その後、コール・ポーターなどが参加、ナチスの台頭によって、後退し始めたウインナ・ミュージカル(オペレッタ)に替わって、ニューヨークのブロードウェイが、いよいよミュージカルのメイン舞台となったとなるのです。 こうして、ブロードウェイはミュージカルのメッカとして、世界中の人々に知られるようになりました。
 ミュージカルの代表作としては、『マイ・フェア・レディ』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『サウンド・オブ・ミュージック』などがあります。
 イギリスからはアンドリュー・ロイド・ウェバーが次々に作品を発表、『CATS』や『エビータ』『オペラ座の怪人』。『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、ポップオペラというジャンルと重なり、台詞も全て音楽に乗せて歌うオペラ形式のミュージカルです。
 フランスからはクロード・ミシェル・シェーンベルクが『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』と、近年は各国からも有名な作品を生み出されており、ミュージカルが世界中で親しまれています。
【ミュージカル・コース】が開講されている専攻は下記となります。
それぞれの詳細ページでご確認ください。
ミュージカル・ポピュラーコース |
【ミュージカル・コース】は、
例えば、【音】、【身体】、【表現】のレッスンの3点を基礎に当教室の講師陣が各分野を担当レッスンを行います。音は音楽、体はダンス、表現は演技という具合です。それぞれ本格的な、専攻がありますので、進度に合わせ、それぞれを受講していきます。
大きなホールの客席の遠く一番後ろの席の方も感動できる・・・! それを実現するには、目と耳で受けてもらうために、大声で,大きなリアクションで・・となれば、今度は表現力に欠けてきますよね。それに近くの方は耳障りかもしれません。遠くの方でも近くの方でも、仮に時折聞こえないフレーズが、仮に、もし、あったとしても、全体として流れが、補間をしてくれる演技が、結果的に目と耳だけで伝えられない何かを心に届けてくるれるものです。届けるだけの音楽ではなく、見せる為のダンスではなく、伝わらない訓練だけの演技ではない。ミュージカルを一緒に学びましょう!